2002-07-11 第154回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第11号
藤原市長を初め参考人の皆様、お忙しい中、きょうは本当にありがとうございます。 二〇〇〇年の十一月のこの特別委員会で、市長さんが参考人として国会に来られたのは二十年ぶりだということをお聞きして、そのことにも大変びっくりをしたんですが、そのとき私も質問をさせていただきました。
藤原市長を初め参考人の皆様、お忙しい中、きょうは本当にありがとうございます。 二〇〇〇年の十一月のこの特別委員会で、市長さんが参考人として国会に来られたのは二十年ぶりだということをお聞きして、そのことにも大変びっくりをしたんですが、そのとき私も質問をさせていただきました。
そのときの団長さんが、ここにおられる藤原市長でございます。 四日間の訪問で私が一番印象に残ったことは、択捉島で歴史教育を行いました。日本からも羅臼町の小学校の先生が行って、向こうの子供たち、そして私たち訪問団、ロシアの大人の方々に対して、日本では北方四島についての歴史はこういうふうにやっていますという、同じ授業をやったんです。
若干支援事業で公共事業的な手法を使ったんではないかと思われるんですけれども、そうではない、もう少し、地域住民との間の交流の方法というのはさらに考えられるんだと思うんですけれども、藤原市長としては何かそのあたり意見がおありでしょうか。
続いて、藤原参考人にお伺いをしたいと思うんですけれども、今お二人にビザなし交流の現状をお伺いした上で、藤原市長にもお話しを願いたいと思うんです。 実際に、もちろんこの北方領土問題、政治的な決着をつけていくことは当然ですけれども、その前提ともなります人的な交流、また日本国民とロシア国民との心の交流というものも非常に必要だなというふうに今の御答弁をお伺いして思った次第なんです。
藤原市長初め皆さん、今回お三人、遠くから本当に御苦労さまでした。新聞報道によりますと、市長が参考人として国会に来られるのは二十年ぶりということですから、私は、こういう場で質問するのは初めてなんですけれども、皆さんのお気持ちをお察しするところです。 二〇〇〇年には平和条約が締結されることを、そして元島民の悲願である北方領土の返還が現実化されることを期待して日々過ごしてこられたのだと思います。
ただいま理事長や藤原市長が申しましたとおり、元島民がここまで返還運動を頑張ってこられた、この心情をしっかりと受けとめながら、私たち後継者、さらに一致団結をしながらこの運動を引き継いでまいりたい、そういう決意をしてございます。よろしくお願いいたします。